夢みがちラブソング

こんな時代だから恋愛くらい夢見ていたいアラサーの人妻。

【アラサー】変化と痕に年齢を感じる

最近蚊に刺されの症状がひどくなってきた。

 

とにかく刺されると腫れる。

痛くて熱くてパンパンになるくらい腫れて、なんの薬を使ってもなかなか効かないの…

 

一度本当にひどくて皮膚科に行ったほど。

その時は腫れ方が尋常じゃなくて普通じゃない蚊(アブとかぶよとか)に刺されたと思っていたら、

全然普通のって言われて驚いた。黒と白の縞々のやつ。

どうやら少しアレルギー?蚊のかゆくさせる成分に体が過剰反応してしまっているらしい。

それで人より腫れちゃうんだって。厄介な体質になってしまったものだ。

 

お薬を塗ってもしばらくかゆいものはかゆくて、

寝てるときとかぼーっとしてるときとか無意識にかいてしまうと、

かゆみと腫れがなくなった頃やってくるのは痕問題。

 

かいたところがシミになって消えない…あここなんかできたでしょ?ってすぐ気づかれるレベル。

もういっそのことほくろになるんじゃない?ってくらい濃いレベルのシミもある。

そしてそのシミが全然薄くならないの…ターンオーバーというか肌自体の衰えを感じる。

 

体質が変わって今まで大丈夫だったものに過剰反応してしまうとか、

シミだったり肌だったり今までになかった悩みが出てくると、

あぁ私もうアラサーなんだなあと痛感。。

 

でもすごく肌がきれいな友達も同じ問題で悩んでいたり、何となく今までとは体調が違ったりする(疲れやすいとかね)と聞いて、少し心が救われた。

やっぱり共感は女性にとって一つの安定剤だなあ~と思う瞬間。

 

私の今日のブログも、誰かにとって「私一人の悩みじゃないんだ」になったらうれしい限り。

 

 

 

 

今更ながらはあちゅうすごいと思い知った話

私実、はあちゅうさんが嫌いだった。嫌いというか苦手でした。

良く知りもしないのに、なんだか好きじゃないと勝手に思っていた。

 

でもある日インスタの虫眼鏡マークのところに「旦那観察日記」https://www.instagram.com/mofu_everyday/?hl=ja のポストが載っていて、

あのかわいいゆるっとした手書きのお猿さんに惹かれ、思わず開いた自分を褒めたい。

 

虫眼鏡マークのところ(他にもっと良い言い方ある気がする)にはアカウント名もアイコンも出てこないから、最初「誰だろ?」って気づかなかったのだけど、

え、あ、しみけんさん!?ということは、え、はあちゅうさんが書いているの!!?

とびっくりしたわけです。

 

私たち夫婦には子供はいないけど、子育ての大変さや楽しさ、

夫婦間でのコミュニケーションに関して、

「あ、あのことも話したかった」「そういえば私も同じようなことあったな」

って、大体の人なら後で一人になったときに思い出すような細かな話

(一番共感できるやつ)の描き方が絶妙すぎて、思わずフォロー。

 

そこからはもうすっかりはあちゅうさんのファンになってしまって、

インスタもブログもツイッターも毎日見て、全然馴染みのなかったVoicyまでダウンロードして、彼女のコンテンツを読み・聞きまくっています。

(もちろん、しみけんさんのインスタとツイッターもフォロー)

 

ただ勢いで売れたわけじゃなく、人気があるのにはきちんと理由があって、

言葉の選び方や文章の構成、人名や事象の引用の仕方を

ものすごく深く深く考えて発信されているからなんだ、って気づいたら、

勝手に嫌っていた過去の自分をぶん殴りたくなった。(冒頭では褒めたけど)

 

伊藤忠出身だから、元エリートだからと、わかりやすい物差しで周りが書いた肩書に、ひがんでいたのかもしれない。

そんな卑屈な気持ちを取っ払って、もっと早くから気づけていたら、

私の思考も人生ももっと豊かに変わっていたかもしれない。

 

今ではあちゅう信者になった私の小さな野望に「書籍化」があるのだけれど、このVoicyを聞いたらはっとさせられることばかりだったので、自分へのメモの気持ちも込めて紹介します。10分くらいなのでぜひ聴いてみてほしい。

voicy.jp

 

・書籍=お金を払って読むもの

・書籍化することでターゲットが限られる

・書籍にするなら10万字弱は必要

・自分でコツコツ宣伝する努力

・実績を作ること

 

私はたぶんこのVoicyを聴くまで「書籍はお金を払って読むもの」って基本を見失っていて、本を書く・出すってことに対してただただ憧れの気持ちしか持っていなかったことに気づかされた。

ブログやnoteからのバンバン書籍化されているから、ブログ書けば、note書けば、1記事でもバズったら、私も作家になれる!!と錯覚してしまっていたのかも。

 

今ではバズるのは当たり前で、彼女も、他の作家さんもみんな、見えない努力を陰で必死にしているんだって知って、安易な自分が恥ずかしくなった。

伝えたいことが何なのか、何のために書くのか、それだけの強さや覚悟は私にあるの?と、聴いてからずっと自問自答しています。

 

とはいえ。

厳しい時代に少しでも夢を持っていたいから、これからも自分を書き溜める。コツコツ。たまった先に見えてくるものも、たぶんあるはず。

私の場合はブログをメモにして、ネタをためていこうと思います。

 

あとはもっと彼女のコンテンツで勉強したい。

今まず読もうと思っているのはこの3つ

 

「自分」を仕事にする生き方

「自分」を仕事にする生き方

 

 

半径5メートルの野望 完全版 (講談社文庫)

半径5メートルの野望 完全版 (講談社文庫)

 

 

言葉を使いこなして人生を変える

言葉を使いこなして人生を変える

 

 

読んだら感想書きます。

 

 

77歳の決断

今週のお題「卒業」

 

私の大好きな義父が、

30年以上全うした「通関士」を卒業しました。

 

義父は今年で77歳。

節目の喜寿に、生涯かけた仕事から、自ら旅立ちました。

 

義父は、日本で初めて認定開始された年の、初めての通関士です。

足腰も丈夫で耳も良く聞こえ、口も達者。

歩く辞書のような義父の知識にかなう人はおらず、

職場では若い人からも人気者だったようです。

 

義父と初めて会った時、私が旅行業に従事していることを話すと、

「通関と旅行は似てるところがあるから、これもご縁かもねえ」

と嬉しそうに笑ってくれた顔を、今でも覚えています。

 

そんな義父は明るい笑顔の裏で、

それこそ波乱万丈な壮絶な人生をおくってきました。

 

30代の頃、愛する奥様(私にとっては義母)を、交通事故で亡くします。

 

当時では珍しくワーママだった義母が、

仕事に行く途中で起きた事故でした。

 

そもそもワーママになった原因が、義父が肩代わりしてしまった借金。

友人を助けようと騙されて保証人になってしまい、

結構な額を抱えていたようです。

 

多くは”別れ”を選んでしまいそうな状況ですが、

支えあい頑張っていた義父と義母。

本当に仲の良いオシドリ夫婦だったそう。

 

ただ周囲は残酷で、

「借金がなければ事故に遭わなかった」

と、義父を責めました。

 

ついには、義母側の親族とは一切縁を切られてしまった義父。

遺骨さえもらえなかったそうです。

 

残された子供たちどどう生きるのか。

 

お先真っ暗で何も希望が持てず、

酒におぼれてひどい時もあったそう。

 

それでも生きていかなくちゃいけない。

一念発起して挑戦した通関士は、初年度に一発合格。

それはそれは誇らしかったと思います

 

その後は稼ぎが安定し、借金も完済。

好きな仕事に全力で向き合い、周りからも必要とされて、

充実した日々だったことでしょう。

 

そんな、自らつかみ取って人生を変えたような生涯の仕事を、

自ら手放す。

なかなかできない決断だと思います。

 

「免許の自主返納のようなもの、もう年やから」

と明るく話す義父をみて、

私はこうやって潔く卒業できるのだろうか、と自答しました。

 

私はきっと、固くなったプライドが邪魔をして、

いろんな理由を見つけて並べて、しがみついてしまいそう。

 

絶対すごくさみしいはずだけど、潔く去ると決めた義父は、

私にはまだまだ備わってない「周りのために脱げるプライド」を、

この仕事でしっかりと、自分の中に身に着けたのでしょう。

 

義父はこれからも、私の理想の男性です。

(一番はもちろん夫だけどね)

 

お父さん、今まで本当にお疲れさまでした。

通関士卒業おめでとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供作れハラスメント

先日、慕っている先輩(男性・既婚)とお食事をしていた時のこと。

 

「そういえば子供はまだ?」

 

そう、私たち夫婦には子供がいません。

結婚して3年目。旦那さんが年上、かつ私もアラサーなので、子供適齢期は適齢期。

いないことに対して疑問に思う気持ちもわかります。

 

『いや~できたらうれしいんですけどね、なかなか…授かりものなので気長に楽しみにしているところです』

 

ここで先輩の表情がちょっと変わる。

この私の ”授かりもの” ”気長に楽しみにしている” という感覚が、

その方にとっては全くの想定外だったようで、そこから始まる根掘り葉掘り。

 

病院には行ったのか、子供を育てる資金計算はできているのか、

子供ができなかったら老後はどうするのか、

35歳になったら高齢出産だ、子供がいないことを旦那はどう思っているのか、

しまいには、月に何回営んでいるのかまで。

うちの旦那が不能なのでは、とまで言われる始末…

 

最終的に、子供を持たない夫婦は非生産で、

なんのために結婚をしたのか理解ができないそう。

 

ちょっと待ってこれってどうなの一種のセクハラじゃないの?

と、すごく嫌な気持ちになりました。

子供は?って聞くのはまだしも、営みの回数を聞くなんて。

そしてなんだか、考えすぎかもしれないけれど、

何となくいやらしさを含んでいて…痴漢に遭ったような気分でした。

 

そして私たちは生産性がないのか、と。

要は世の中からいらないってことですか?と思ってしまったし、

もういっそのこと言ってやる!!!と怒りのような感情もわいてきたけど、

悲しみが勝って、帰ることにしました。

 

いつもは終電ギリギリまで飲む私が帰ると言い出したので、

何となく、私が不機嫌なことは感じ取ってくれたようですが、

今でも先輩は、私がなんで気を損ねたかわかっていないようです。

 

家に帰っても嫌な気持ちは消えす、でも夫には絶対言いたくないし、

もしかしたら同じような目に遭った人がいるかも…

と思って、ブログに書くことにしました。

 

 

私は今の夫との生活が大好きです。

毎日幸せで、この人と一緒になれて本当に良かった、と

心の底から思っています。

 

確かに、子供ができたらより幸せでしょう。

彼だけではなく、彼の家族も私の家族も、

それはそれは喜んでくれると思います。

 

望んでいないわけじゃない。

ただ、できないんです。

だからといって、不妊治療までは考えていない。

自然に授かれたらいいね、と私たちは考えています。

 

もし授かれなかったら。

それはそれで仕方ないよね、と。

それもそれでわたしたちだよね、と。

 

苦しい思いもたくさんしながら、

妊活されている方もいらっしゃる。

もしかしたらその先輩も、たくさんの苦しいを乗り越えて、

ようやくお子さんを授かれたのかもしれない。

 

そういう方から見たら、私たちはなんて能天気で甘く考えていると思われるでしょう。

でも、すべてを正面から全否定するのは、どうなのかと思うのです。

 

子供がほしくて結婚した夫婦

できなくて離婚を選んだ夫婦

生涯二人を選んだ夫婦

 

様々です。

 

私たちは子供目的で結婚したわけではなく、

できるだけ永く一緒にいたいから、結婚を選びました。

それだけのこと。

 

負の方がすぐに連鎖するので、先輩の

「子供作れハラスメント」に一瞬負けそうになりましたが、

どことなくしょんぼりして帰宅した私の顔を見て

夫は何も聞かずにハグしてくれて、

 

あーやっぱりこの人と結婚してよかった

 

と思ったのでした。

 

 

Begin

ブログなんて正直何を書けば良いかわからないし、何よりブログって承認欲求を満たすための道具でしかないように見えるし、

そもそもわたしにそんな欲求なんてないのですが…

 

30年近く生きてきても、

自分で自分がよくわからない時がまだまだたくさんあって。

 

慌ただしい毎日の中で

感じたこと思ったこと、

好きなこと嫌いなこと、

嬉しいこと悲しいこと、

書き留めてみたら何か気づけるかな、なんて。

 

そんな想いで始めてみました。

令和元年 10月1日

 

徒然なるままに書いてみます。

 

とはいえ、ブログを始めてみよう!と思ったのはこれが初めてではなく、もう何度目だろう…と考えてしまうくらい、意気込んでは辞め意気込んでは辞め、を繰り返してきました。

 

基本的に見栄張りの良い格好しいなので、

自分のために始めたはずのブログなのにいつの間にか周りを気にして、勝手に受けを狙って勝手に期待して勝手に落ち込んでいたのだと思います。

 

で、あと勝手に恐れてた。

最近多い炎上とかアンチとか、そういうことになったらわたしたぶん耐えられないから嫌だなーって……だいぶ、おこがましいし何様なのかしらという感じですよね。笑

 

そういうのは起こってから考えよう!大丈夫そもそも読まれてないんだから!!

と、自意識過剰な自分を封印し、自分のために書いていくことにします。

 

ルーティンが苦手なのと、好きなものがたくさんあるので、まとまりのないとりとめのないブログになりそうですが…

 

好きなものばっかりの小部屋のような。

そしてその好きを好きになってくれる人がいたら。

とても幸せな出会いだなぁと思います。